ダルマの観点から見る幸せと不幸、お釈迦様の教え
ダルマの観点から見る幸せと不幸とは?
今日はダルマの観点から見た、「幸せ」ということについて語りたいと思います。
まず、ダルマ、解脱するためのお釈迦様の教えでは「幸せ」は「不幸と同じ」であるとされています。
幸せじゃない方が良い。不幸でもない方が良い。
『真ん中が良い。』
これがダルマの基本であり、本当の正しい考え方、なのです。
しかし、私はこれが中々理解できなかった。
私はベジタリアンになり、酒も飲まず、家も引っ越し、お金もほとんどをお布施や募金など徳分になることに使い、家族旅行や子供と遊んだりなど一般的な「幸せ」を捨てた。
ダルマを実践する前は、幸せだった。ビジネスが上手くいき、お金がたくさんあり、子供と毎日のように遊び、色々上手く行ってた。
自分で選んだ道なのに、切なく、悲しくなる。あの頃は良かったのになと思うことすらある。後悔はしてない、してないけど、切ない気持ちになる瞬間がある。
だから、ダルマを実践しながら、幸せな気持ちになる方法はないものかと思案を巡らせたのだが、答えはやはり「ない」だった。
何故なら、ダルマでは「幸せ」そのものを否定しているからだ。
「幸せ」は「不幸」と同じである。よって幸せは良くないこと。とダルマではされている。
この輪廻転生から解脱するには「幸せ」という感覚は邪魔であり、執着になるのだ。
だから、ダルマを実践することと、幸せであることが両立するはずがない。もし幸せなら、ダルマを実践していないことになる。
だから、よく考えた。何故幸せは執着なのか?何故幸せになっちゃいけないのか?
そこで「幸せ」を考察してみると、一つのことに気付いた。
「幸せ」には副作用がある。
幸せでなくなった時に、幸せだったことを思い出して「切ない」「寂しい」「喪失感」「哀愁」という感覚が襲ってくることだ。
良薬は口に苦しというけれど、逆に言えば毒薬は口に甘し、なのだ。
幸せは毒薬である。「切なさ」「寂しさ」「喪失感」「哀愁」、どれもこれもまぎれもない執着であり、苦しみである。
幸せは執着を生む。苦しみを生む。
だから、幸せということはある意味良いようで、深く考えると、長期的な視点で見ると、確かにあまり良いこととは言えないのだ。
何故なら、人生、ずっと幸せということはありえないからだ。
光があれば必ず闇がある。
人生、幸せな時期があれば不幸な時期もある。インド占星術のダシャーもそう教えてくれる。
だから、今、もし自分が幸せだったら注意しないといけない。
その幸せはずっと続かない、必ず終わりが来る。
そういう心構えを持ち、その時に自分は今感じている幸せに、執着しないぞ、と心構えをしておかなければならない。
逆に今、自分が不幸ならば、それは本質的には良いことかもしれない。
カルマを解消出来ているのだから。
そして、誰も不幸な時期に戻りたいと思う人はいないだろう。今は執着を生まずに済んでいる時期なのだ。
だから、不幸というのはそんなに悪いものでもないかもしれない。
・・とはいえ、不幸だとやっぱ辛いですよね。
だから、幸せでもない。不幸でもない、常に「真ん中」であることを心がけたい。
今、幸せならば、未来にその幸せが崩れた時、今を思い出さないようにすること。
今、不幸ならば、特に気を付けることはない。
幸せな環境であろうと、不幸な環境であろうと、自分の心は波風を立てず、常に冷静な心でありたいものです。
それが、輪廻転生から解脱される道、ダルマです。
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